『魂』を揺さぶる読み物


褒めること 叱ること



私は叱ることより誉めることが多い者です。
何故なら自分自身が仕事の上で、上司から叱られる時より誉められた時の方がやる気が出る・・と言った簡単な理由からです。どうも私は甘い人間なのか叱られると、叱られないように・・と結局は叱られない為の消極的な行動しか取れないのです。
ものすごく厳しい監督さんがいます。そのチームの練習は常に気合が入っています。しかしその練習とは、『上手になりたい』ではなく常に『監督に叱られないように』監督の指示どおり・・監督の顔色を伺いながらのものです。練習中の笑顔などもっての他です。そんな選手達は試合などで苦境にたつと監督の顔を見ます。自分達でゲームを全く作ろうとしないのです。監督がいないとバレーが出来ないのです。そして現役引退後は『バレーはもういい』と言うものが多いのです。
しかし私は叱ることを否定しません。誉めると言っても、誉めてばかりいれば、それが当然のようになって、ご褒美がなければ動かなくなる情けない人間を作るのでしょう。
叱ることがあって初めて誉めることが生きてくるのです。そして誉めることがあるから叱ることに真剣に聞く耳を持つことが出来ると思うのです。
そう言った意味で私は誉めることと叱ることは全く同じ物であると思っているのです。
私はこういった叱りかたをしています。
『何故、君ともあろうものがそんなプレーしか出来ないのか』
『力の出し惜しみをしてはいけない。それは頂点を狙う者のする行為ではないし、君の力はそんなものではないはずだ』
しかし気をつけなくてはいけないのは、あまりに効果を狙っての計算づくの言葉は良い結果を生まないこともあります・・さまざまな計算をしてしゃべる指導者を選手達は好きになるでしょうか?そしてそんな指導者の言葉を信用するでしょうか。
そんなことで叱る時に感情的になるのはある意味で重要なことでもあると思います。
勿論指導者は常に理性を持って行動しなければいけないと思うのですが、意外と感情的な人間性をむき出した部分でお互いに通じ合えることがあるような気もするのです。
私など30数年指導らしきことをしてきても、未だもって納得のいく指導など出来たことがありません。素晴らしいプレーに手を叩き、思わず出た愉快なプレーを一緒に笑い、時にはつい『バカヤロー』とどなってしまいますしあるときには共に涙を流す、こんな毎日毎日が新鮮なものでなくては続けることが出来ませんでした。そんな私が自慢することが出来るものと言えば、卒業生の大半が何らかの形でバレーボールを現在でも楽しんでいることです。私のような三流の指導者は『バレー(スポーツ)を通しての人間作り』・・などとても言えません。私はは選手個々が持っている無限の可能性と夢を信じて、そんな選手の成長に一喜一憂する単なる応援者にすぎないと思っているのです。別にスポーツをするものでなくてもマナー、モラルを持つことは人間として当然だと思っています。自分達が好きなバレーを思う存分(?)出来るのもみんなの応援があってのことだと感謝することはきちんと教える必要があると思っています。
好きなはずで始めたバレーなのに、叱られなければ行動しない人間を作ってしまったら、逆にご褒美がなければ動かない人間を作ってしまったら・そして『もうバレーはいい』と言うような選手を作ってしまったら・・・。

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一見すると本書は、書店でよく見かける、大昔の常識をそのまま載せた入門書の仲間ようにも見えます。しかし、内容の誠実さは群を抜いて素晴らしいものがあります。

肩書きだけの入門書(元全日本など)とこの本とを同じようなものだと考えると、バレーボール人生において損をすることになるでしょう。

書店にも良く置いてありますのでぜひ一度手にとってご覧下さい。

『基本から戦術まで バレーボール』についての詳しい書評やコメントの投稿はこちら

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