『魂』を揺さぶる読み物



一五(歳)の約束・・・by芭麗人さん2005-05-12


連休中 大阪に行って来ました。
黒鷲旗の試合観戦が目的ではあり、日本のトップレベルの試合観戦は楽しいものでした。
もう一つにはこの試合の審判を務める教え子のS君の激励をするのも目的の一つでした。
間抜けなことに・・残念ながら日程の都合で彼の見ることは出来ませんでしたが、たまたま会場でお会いした国際審判のK先生が私にこんな話をしてくれました。
「S君立派ですね。あの若さで国際審判候補になって(彼は最年少でA級審判の資格を取得)・・この大会での彼の審判も立派でしたよ。先生との出会い、そしてそこでの

『15(歳)の約束を守ってねー』
・・・・・・・・こんな話をしてくれました。

本当に私は幸せな気持ちになることが出来ました。

彼はバレー部の門を叩きました。
しかし・・ほどなく「自分は背も小さいですし、運動神経も鈍いので裏方に徹したい。マネージャーをさせてください」こんなことで彼はマネージャーになりました。ご存知のように私のようなわがままな人間のところでのマネージャーですから、その忙しさは半端なものではありません。選手の健康管理はもとより、合宿の手配、遠征にいらしてくれる各高校への気配りなど、彼の働きは・・『マネージャーとしては日本一である』
・・と彼を知るどなたにもお墨付きを頂くようなものでありました、また仕事柄、審判を務めることも多く、彼の生真面目な性格は審判にうってつけのもののように私の目には映りました。そして『公認審判員になる』と言い・その活躍は素晴らしいものであり私の誇りでもありました。

しかしある時に私の逆鱗にふれる出来事がありました。
『春高予選』県大会が近いその日・あまりにチームの出来が悪くボールをそこら中に投げて選手を飛ばして・転げまわらせていましたが球拾いの部員が少なくボールがそこらにちらばって危険な状態になりました・・その時私の目にステージ上のSの姿が入りました(机を持ち出してなにやら書き物をしているようでした)
・・私はもっていたボールを投げつけました。そして「おいSお前は何をやっているのだ」彼は「試合の記録をまとめていました・・・」・・と言いました。
・私は「おまえは今うちの選手達がどんな練習をしているのか気にならないのか?みんなが『日本一になりたい』と言って汗や涙を流しながらボールを追っているときに・・お前のその態度はなんだ・・データーをまとめることなんて家でも出来る仕事なのではないか」・・「お前は『日本一のマネージャーなる。そしてA 級審判員になると言っていたじゃないか。そんな心がけのやつが・・うちのマネージャーだと・・何がA級審判員だ・・お前なんかいらん帰れ」
私のあまりの剣幕に体育館の空気は凍りつきました。
しばらくの時間が流れました、どうなることか?と固唾をのんで成り行きをみていた選手達の前で、彼は泣きじゃくりながら、大きな声で「本来やるべきことを忘れていました・・僕が間違っていました・・最低のマネージャーです・・志が低かったです。僕は、僕は・・世界一のマネージャーをめざします。国際審判員をめざします・・みんなにあやまりたいです」
・・その声は、張り詰め『シーン』となっている師走の深夜の体育館に響きわたりました。
次の瞬間 それを聞いた選手たちから『ウオー』と声ならぬ声があがりました。
冷えきった体育館の中の空気に火がつきました。
選手は燃えました・・ そして次の週・・
彼は年が明けると『国際審判になる為に英会話が必要』と英会話の教室に通い始めました。
      彼がまだ15歳のときのことです。

S君の逸話
彼はわがチームのマネージャーでした。仕事がら紅白戦や練習試合の審判をすることも多く・・そのうちに
審判員の道を志すようになりました。毎日の紅白試合の審判だけではなく、県内外のチームとの練習試合でも積極的に審判を行い、高校生の時にすでに公式審判員の資格を取ると同時に、将来は『国際審判員の資格も』と言って英会話の学校にも通ったほどでした。
彼が高校2年の校内球技大会時のことです。
残念ながらA高の球技大会は例年上級生の横暴さ、ふざけた態度でのいいかげんな試合をすることが恒例(?)であり、ボールを蹴っ飛ばしたり(当時は足でのプレーは許されていませんでした) 大会を運営するバレー部員の下級生がする審判にボールをぶつけたり、審判台をゆすったりし、口汚く罵って判定を変えさせるなど、それはひどいもので3年生が勝つことが決まっているような、お世辞にもバレーの試合とは言えないような、しらけたもので、それが伝統のようになっている醜いものでした。
(それに対して私達教員は危険なことがないように見張り(?)をする・・それが球技大会の仕事でした)
そんな球技大会の決勝戦にS君がなんと、キチンと公式の審判着を着用して審判台に上がりました。
   場内はそのイデタチニびっくりして笑いも出ましたが、彼は真剣でした。
審判としての使命感がありました。
『オイオイ』とういう感じの3年生に対してS君は容赦なく笛を吹きました。カードも出しました。私が見ても『たかが球技大会に・・・大人気ない』というようなもので、上級生も最初は『なんだ、なんだ、この野郎・・。』という感じでゲームが進みましたが。
そのうちその必死の笛におされ、3年生の顔つきも変わりキチントしたプレーができるようになり、対する下級生チームとの真剣勝負になりました。
そしてそれにひっぱられるようにクラスの応援も熱してきて、『いい加減・・でたらめ』と言われ続けた生徒が真剣にボールに飛びつき、そのファインプレーの連続に体育館は興奮のルツボになりました。・・・それこそ全校の声援を受けての試合となりました。   
無事熱戦を終えた3年生がS君に歩み寄り『ありがとう』と言い、それから私のところに来て『あいつスゲ‐よ。おどしもきかねーし。俺達久しぶりにマジになって汗をカイチャッタ』と汗を拭おうともせず。本当にうれしそうに語りました。
閉会式には副校長先生が『今日のバレーの決勝戦はまるで国際試合を見ているようでした。例年のあのいい加減な試合ぶりに不愉快な思いを続けてきましたが今日は久しぶりの息も詰まるような熱戦に興奮しました。立派な審判のもとで素晴らしい試合が出来ました。上級生も本当にフェアーな態度で試合が出来ました。今日は全員に100点を上げたい。そして自分の学校の生徒を見なおしました。』こう講評をしてくれました。
私はこの時本当に審判の重要性を知ると共に、笛次第でゲームがどうにでもなることを知り、自らの公式戦などでの審判の戒めとしました。同時に審判員に対する畏敬の念を持てるようになりました。  
 しかしながら相変わらず私は試合中にはつい『ワンタッチ・・してる・・』『今のはホールディング・・』等叫んでしまうこともある情けない男です。 しかし自分のその言葉のあとには必ず手を挙げます。
そして結果がどうあれ審判に対してお礼を述べます。『その判定(観戦していたほとんどの人間がジャッジミスと言った時でも)に間違いはなかった』と言います。
それほど審判とは大変なものだと知るようになりましたし、試合を公平にさばく努力とは私のような3流の指導者が全国を目指すのとは比較にならないほどの、努力と研鑚があるということをS君から学んだからです。
補足ながら情けない事に私は先日の県大会で派遣審判員できた彼からイエローカードを出されました。・・・つい興奮して立ちあがって判定に不服を唱えたものですから…。
彼は毎日自宅の姿見で自分の判定の際のジェスチャーを確認していて、Vなどの審判がない時でもいたるところに出かけて練習試合などの審判をかってでて日々の研鑚を重ねています。
そしてこう語ります
『自分の笛で選手が日頃の練習の成果を発揮して、気持ち良く試合が出来たら・・そして勝ち負けの結果はどうあれ良い汗と涙が流せる事ができるように・・』               
『あくまでそんな試合の自分は裏方に徹したい』

そんな卒業生を持ったことを誇りに思うと同時に、そんな彼を尊敬しています。

私の夢は・・全国の舞台で・コートで・彼の笛の下で試合をすることです。

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