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わかおじさん | 南の国のもうひとつのバレー / 投稿日時: 2006-10-12 14:48 |
へりくつ道場黒帯
登録日: 2006-10-4 投稿: 58
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
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数年前のお話ですが、私のバレー生活に大きな影響を与えた出来事を、書かせていただきます。
私が関わりあっているNGOの事業のひとつとして、仲間とタイ国カーラシン県ファイプン郡のノーンコンカン村を訪問したのは2000年5月のことです。 ノーンコンカン村は人口500人くらいの小さな村です。 私たちの主な目的は、「最貧困層の子供達への奨学金提供」と「現地の状況確認」です。 イサーン地方と呼ばれるタイ東北部は、バンコクやチャンマイなどの大都市の繁栄とは縁遠く、また南部のプーケット、パタヤに代表される、マリンレジャーのような目立った観光資源もありません。 民族的にはラオ族が多く、大部分が自給自足の農家です。 平均年収は約4万円で、タイ国内で最も貧しい地域といえます。 村の中でホームステイをしながら、地元の中学生や村人たちと交流を深めていました。 中学校進学率は60〜70%で、経済的な理由で進学できない子供たちが目立ちます。また親たちも進学させたいと思っていますが、生活を考えれば農業の手伝いを優先させたい、という事情があります。 この村の子供たちの大部分は中学卒業後、農業をするか、日雇い仕事で都会に出稼ぎに行きます。 女生徒の中には、家の借金を返すために、自分から出稼ぎを希望する子もいます。 そんな村の生活の中で、子供たちの楽しみは村の広場でのバレーボールです。 ボール一個で多勢が楽しめるバレーボールは、サッカーと並んで人気があります。 夕方4時頃、陽射しが弱くなってきた頃に村の広場に、中学校の先生や男女生徒、村人達が集まってきます。もちろん私たちも参加します。 その場で即席のチームを作り、試合が始まります。 ネットは魚取りの網を流用したものを(器用に作ってある!)ヤシの木に縛り付けています。コートは砂場のようで、コートラインはロープを張り巡らしています。 ボールは貴重品です。(月収と同じくらい)私たちが持ち込んだ数個のボールは大歓迎を受けました。 今回の訪問メンバーでバレーの経験者は私を含め二人いましたので、私がセッター、もう一人はスパイカーという役どころでした。 バレーシューズを履いているのは日本人の二人だけです。地元の人たちは全員裸足です。 私は日本からホイッスルを持ち込んでいましたが、審判は村長さんがやってくれました。 試合はいつも熱戦になるのですが、いつも驚くのは彼等の反射神経の良さです。 身長は低いのですが、ジャンプ力があります。また女生徒でも平気で男子のスパイクをレシーブします。 ナイスプレーには敵味方関係なく、観客(コートの周りを村人がぐるりと取り囲んでいます)から拍手が沸きます。 私が男子生徒の強打をフライングレシーブすると、もう、拍手喝采!(えっへん!) イープン!イープン!(日本人!日本人!)の大合唱! いつも日が沈む寸前まで、砂まみれになりながら、みんなでバレーを楽しんでいました。 勝ちも負けもなく、「今日の試合は面白かったね!」と笑顔でたたえあうのです。 タイの片田舎から、私が日本で携っているバレーボールをあらためて振り返ってみました。 ・まじめに取り組んでくれる選手たち ・協力してくれる父母たちの存在 ・理解をしてくれる上司、応援してくれる同僚たち ・整った体育施設 なんと恵まれた環境なんでしょう。 私は自問してみます。 「今の環境を当たり前のものとして、選手に傲慢になっていないか?」 「応援してくれる人達に対し、謙虚さを失っていないか?」 冷や汗が出ました。 あれから6年。 私は、毎年10個のバレーボールを持って、イサーン地方に出かけています。 長いお話を読んでいただき、ありがとうございました。 |
オリビア | Re: 南の国のもうひとつのバレー / 投稿日時: 2006-10-18 15:56 |
へりくつ道場師範
登録日: 2006-1-5 投稿: 352
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
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こんにちは
大変良い話が載っていたのですが、見逃していました。 昔の日本の本などを見ると農村でモンペ服を来たおば様達が木や物干し台にくくりつけたネット(すごくたるんだネットです)でバレーボールを楽しんでいる写真を見たりします。今は競技バレーだけが注目を受けていますが、元々のバレーボールは身近でみんなで楽しむ遊びのようです。おそらくはタイの子供たちはこのようなバレーを楽しんでいるのでしょう。 セルビア=モンテネグロはシドニーオリンピックで男子バレーチームが金メダルをとったバレーボール強豪国です。グルビッチ兄弟などの名選手もいます。中でもミルコビッチ選手は世界のトップスパイカーですが、テレビ番組でミルコビッチ選手がセルビア=モンテネグロの国内を案内する特集がありました。その時、バレーボールを始めた時のコートを紹介していましたが、やはり空き地にネットをはった室外の粗末なコートです。この国も政情不安で国内が何度も戦火に包まれたために体育館でバレーをするような環境にない国です(同国の遠征について行ったドクターによれば試合会場をぐるりと機関銃を持った武装した軍隊が取り囲み、物々しい雰囲気の中での試合だったそうです)。彼らは国家の威信と国民のために金メダルを目指したと言います。 小学生の時は休み時間になると校庭で円陣パスをしていました。少しだけバレーボールを習っている女の子がいて、自分よりすごく上手く、うらやましかった覚えがあります。家に帰って何気なく「バレーボールやりたいな」と言ったら、父も兄も「あれは女の子のスポーツだろ?」と笑われました。でも、バスやサーブやスパイクといったバレーボールの技術にものすごい憧れがありました。それでもバレーボールは学校の休み時間に出来る身近なスポーツだったわけです。 日本はオリンピックのメダルをとった経験もあり、国際大会が毎年のように開かれているバレーボールが「盛んな国」ではありますが、バレーボールが「身近な国」というには一寸違うかなと思います。バレーボールは一部の選手のものであり、また大多数の人にとっては「テレビの中のもの」という印象です。毎週、世界バレーのために特集番組を放送しているテレビ局がありますが、この番組を観てもなぜかバレーボールが身近に感じるどころか、遠い「テレビの中のもの」の印象が強くなります。タイではもっと身近なスポーツなんでしょうね?ウーン。でも、良い話をありがとうございました。 |
わかおじさん | Re: 南の国のもうひとつのバレー / 投稿日時: 2006-10-19 9:03 |
へりくつ道場黒帯
登録日: 2006-10-4 投稿: 58
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
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オリビア様、RESありがとうございます。
旧セルビア=モンテネグロの選手たちは、ほとんどの選手が身内に内戦の犠牲者を持っていたようですね。 本当に、世の中が平和でないと、心からスポーツを楽しめないと感じます。 タイのイサーン地方から、メコン川対岸のラオス南部に渡ると、やはり同じように、村の広場にバレーコートがあります。 タイ同様、子供から大人まで、村人皆でバレーを楽しんでいます。 タイ東北部よりさらに貧しく、年収1〜2万円程度のこの地区ですが、バレーボールの人気は高いですよ。 電気も無いところですから、テレビもラジオもありませんが、なぜかボールはあります。 雨季になるとバレーコートが流されてしまうので、コンクリートで作ったコートもあります。 暑い国なので、水牛が冷たいコンクリートでお腹を冷やすために、時々寝そべっています。 この地方には、ベトナム戦争当時の不発弾が約900万発残っています。 私たちは、この不発弾処理のサポートもしており、年間3万発程度が処分できていますが。。。 単純に計算して、すべての処理が終了するのは、300年後です。 時々、支援をしている子供たちが暴発の犠牲になるときもあります。 私も小学校の頃は、校庭で円になってパスをやっていました。確かに女の子の方が上手でしたね。東京オリンピックの「東洋の魔女」の影響でしょうか。 私の頭の中には、「バレーボール=貧乏人のスポーツ(昔の日本)」という思い込みがあって、ひとつのボールで大勢が楽しめて、遊びレベルから高度の技術まで、自分のやりたいレベルが選べるというのが好きです。 (サッカーも同じようなところがありますね) ハングリーさを失った日本のバレーは、この先どうなるのかな?と、いらぬ心配をしています。 昔話にお付き合いいただき、ありがとうございました。 時々、いろんな国のバレーを紹介していきます。 |
ゴン太 | Re: 南の国のもうひとつのバレー / 投稿日時: 2006-10-19 13:21 |
へりくつ道場高段者
登録日: 2006-1-7 投稿: 86
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
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わかおじさん様、オリビア先生、
貴重なお話しをお聞かせいただいてありがとうございます。平和な日本でのほほんと生活している私たちにとったら、考えさせられることの多いお話しでした。 タイという国についてはその昔TVアニメ(「紅の挑戦者」でしたっけ?)で観て、キックボクシング(ムエタイ?)の国と言う印象ぐらいしかなく、ほとんどその文化についての知識がない私ですので、興味深く読ませていただきました。 旧ユーゴの情勢については、先日『オシムの言葉』を読んでサッカー日本代表監督イビチャ・オシムの半生とともに勉強したばかりですが、タイにしてもセルビア・モンテネグロにしても、日本とは程遠い環境の中でバレーをしてるんですねえ。 今の日本はどうなんでしょう? 子ども達はバレーとどのように出会ってどのような存在なのでしょうね? 私が小学校6年生の時、ワールドカップ77が日本で開催され女子は金メダル、男子も銀メダルだったと思います。花輪さんが牛若丸なんて呼ばれて活躍されていたと思います。その頃昼休みのグラウンドでは、1mちょいの高さの防球ネットをはさんで男の子も女の子もバレーをしていました。「天井サーブ!」って空高く打ち上げていたのを思い出しました。 |
ナゾノヒデヨシ | Re: 南の国のもうひとつのバレー / 投稿日時: 2006-10-19 14:20 |
へりくつ道場師範
登録日: 2006-1-5 投稿: 715
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
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シニアで途上国にてバレーを普及する人材は必要ないのでしょうか?僕でよければ資格取得後すぐにでも行かせていただくのですが。
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じゅん@ | Re: 南の国のもうひとつのバレー / 投稿日時: 2006-10-19 23:53 |
へりくつ道場高段者
登録日: 2006-1-17 投稿: 174
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
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ウチの嫁さんがドミニカ共和国の指導者として来てくれないか?と某チームのスタッフをやっているときに誘われたそうです。とにかくバレーを知っている方が来て欲しい。
待遇は国賓待遇で、プール付きの王子の宮殿?か何かに住ませてくれる話になっていたそうです。駄レスすいません。 |
わかおじさん | Re: 南の国のもうひとつのバレー / 投稿日時: 2006-11-9 3:37 |
へりくつ道場黒帯
登録日: 2006-10-4 投稿: 58
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
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ナゾノヒデヨシ様
シニアで海外バレーボール普及・強化の為の派遣は最近は情報がありません。 以前は日本バレーボール協会での派遣があったような記憶が。。。。? 対象競技内に入っているかどうか判りませんが、JICAでもたまに募集は あるようです。 http://www.jica.go.jp/activities/sv/index.html 柔道、卓球、合気道などが、現在の募集競技のようです。 やはり、何かのつてがないと難しいのが現状のようですね。 |
ナゾノヒデヨシ | Re: 南の国のもうひとつのバレー / 投稿日時: 2006-11-9 13:27 |
へりくつ道場師範
登録日: 2006-1-5 投稿: 715
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
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ご丁寧にありがとうございます。
つては何とかするとして、英語の再勉強をしなければなりませんね。 50までにはなんとか実現してみようかとも思います。 |
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