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芭麗人 エースがいたから優勝出来たのだ・・・と勘違いしていたことがある  /  投稿日時: 2006-6-23 16:50
へりくつ道場黒帯
登録日: 2006-1-6
投稿: 65
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
『12番目の選手、いや思いもかけぬ20番目の選手の汗と涙によって我々の夢が成し遂げられたこと、そしてその選手の存在こそがまさしく自分達の活動の原動力だったことに気がつくことがある』
 

私の歴史でことが順調に進んでいるときこそ真実が見えなかった時なのである。
曲がり角に立たされた時初めて見えてくるものがあり、そんな時こそ人間の価値について正しい見方が出来るかもしれないと思う。
どんな人に助けられて私が生きてこられたのか。

(20数年前の話である・・・バブル期以前の不景気な時代であった)
チームの強化そしてクラス指導などで壁にぶつかっていた・・・・自分の力のなさを思った。
自分を鍛え直すべく勤めていた学校に休職を願いで、民間の小さな工場に働き場所を求めた。
  
小さな町の小さな工場で
従業員のほとんどがパートの中年女性であり、男子工員は数名であった。
二、三ヶ月の後工場長が『家の仕事を継ぐ』といって退職し、何故か新入りの私が新しい工場長に指名された。(工場長といっても仕事と言えば内職まわり、工場内の機械の手入れ、点検そして親会社への納品業務、休んだ人のラインへの補充要員など・・ほとんどの仕事の内容は雑役であった)
・・数ヶ月の後に大変な仕事がまわってきた。
         従業員の解雇だった。

世の中は不景気になっていた。仕事はソ〇ーのビデオ部品の加工を下請けしたものであったが、ビデオ戦線でベーター方式のソ〇ーはVHS組に惨敗し,必然的に仕事が急激に減った。
25人いた従業員も10人で十分であった。

経営者は(今で言うリストラの)対象者は既に決めていたようだが、解雇すべき工員の名簿作りを急がされた(実際には名簿は経営者から提出された)
   『私に首切りの責任を押し付ける気である』
               ・・・私にはそうとしか思えなかった 
働きぶりの評価をし、候補者の面接を行ったそれぞれの人が 仕事など何もわからない新米工場長の私に哀願をした
『今仕事が出来なくなったら、子供を学校に行かせられなくなる・・・』
涙を流した人もいた。

その中には以前勤めていた学校に子供を持つ人もいた・・私は そんな辛い思いをしながら子供を高校に通わせている親のことなど考えたこともなく、世の中の常識などまったく知らずに教員をし、ある時には生徒たちを『ダメな奴・・』と切り捨てをしていた傲慢な自分を思いだした
         
   ・・そのことで苦しみ悲しみが二倍になった。

解雇対象者の中にAさんがいた。
Aさんは何をやっても要領が悪く仕事が遅れて『悪いね』『ごめんなさい』が口癖で、ことあるたびにいつもすまなそうな顔をしたが、それ以外はいつも笑顔を絶やさなかった。
(小学校さえまともに出てない?と噂され、実際に漢字もほとんど読めないようであった。)

そんなお人好しのAさんを心無い工員たちはからかいの対象とした、そして何か仕事上の不都合・失敗があるといつもAさんのせいにした。
そんな時『ごめんなさい』と言う彼女に対して、追い打ちの言葉を投げかけようとする行為を私がさえぎろうとすると、Aさんは『どうせ私はバカだで・・』『工場長すみません私が悪いんです』と言ってただにこにこしているだけだった。 

 『Aさん、いいねー悩みなんてないでしょう』こんなからかいをする人間に対しても笑顔をむけるだけだった。
彼女に与えられた仕事は当然のように単純作業だった。
(時間給も他の人より低かった)・・そして時間がかかった。 
 
ある時私は何故彼女がほかの人より時間がかかるのかを観察した。
そんな時、彼女の行った仕事にほとんど不良が出ないことに気がついた。確かに動作はのろく、時間はかかっているようだが彼女の仕事に間違いはなかった。それは検査による手直しの必要は全く無く完璧であることに気がついた。
  
 彼女は製品を一つ一つ大切に、いとおしそうに扱った。
製品の箱詰の際には必ず両手で包み込むように行った。

毎日彼女はタイムカードを押してから一人残ってやり残した仕事をした。
そんな時、その姿勢についてAさんに話を聞くと
『バカな私の作ったもので人様に迷惑をかけると行けないで』と笑った。


そんなAさんと面接をしなければならなかった。

『困ったやー。仕事が無くなったら、どうすればいいかねー。私はバカで、ここやめたらどこもやとってくれないでねー。ご飯食べなければ生きていけないでねー困ったヤー』と言った。
 
当然のように私の願いはかなえられず社長はAさんを残すことを拒否した。
景気の悪かった頃でどこでも人手を必要としていなかったが、私の知り合いの小さな工場にAさんの人柄を説明して紹介したら運良く採用された。
 
Aさんにとって工場勤務最後の日は朝から雨が降っていた。5時の終業のべルが鳴っても彼女は仕事の手を止めなかった。
私の『Aさん、時間ですよ』の呼びかけに、あわててタイムカードを押しに行き、また仕事を続けた。
そしてその日の仕事を終えると、ポケットから取り出した、手ぬぐいで今まで自分の使っていた道具を丁寧に愛おしそうに拭いた。
すべての彼女の仕事が終わり、見送りに出た工場の玄関の軒下でAさんは目にイッパイの涙をタメながらた私の手を握りしめてこう言った。
 『工場長は私の小学校の先生のように優しかった』
 『勉強できんくて、家の手伝いをさせられて・・あんまり学校に行けなかった私に、勉強を教えてくれた先生と同じようにやさしかった』 「工場長のことは一生忘れません。お元気で。』  
そう言うと、母の日に子供からプレゼントされたと言った緑色の傘をさして、何度も何度も振りかえりながら、坂道を下って行った。

 Aさんの辞めた後、他の人がその仕事を引き継いだが、誰がやってもAさんのようにきちんと出来なかった。
ガランとなった工場で誰かが
   『Aさんがいなくなってサビシイね』と言った。
みんなの肩が震えた。
改めてAさんの存在の大きさを実感した。
  
 あの笑顔は暗く寒い工場の中の太陽だった。  みんながそう思った。

しばらくの後彼女の『先生のように優しかった』の言葉に後押しされるように教師に復帰することを決意した。

私はそんな人からの励ましによって今日も生きている。
司馬仲達 Re: エースがいたから優勝出来たのだ・・・と勘違いしていたことがある  /  投稿日時: 2006-6-23 23:16
へりくつ道場師範
登録日: 2006-1-6
投稿: 500
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: 6年以上
性別: 男性
文章を見て久々に涙を流しました。
芭麗人先生の文章にはいつも心の洗濯をして貰っている感覚を受けます。

いつも有り難うございます。

P.S お体の具合は如何でしょうか?
たれいらん Re: エースがいたから優勝出来たのだ・・・と勘違いしていたことがある  /  投稿日時: 2006-6-24 3:02
管理人
登録日: 2005-12-8
投稿: 391
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
芭麗人先生、またまたありがとうございます。

人の価値というのはものさしで測れるものではないことがしみじみと伝わってきました。
選手のスカウトでのA君のように、その人柄が集団にとって目に見える大きな利益をもたらす場合もあれば、このお話のAさんのように目に見えない存在感というものもあるんですね。

芭麗人先生の文章を読ませていただくと、「人間」について深く考えさせられます。

それにしても、いなくなってから初めてその人間の価値がわかることって多いですよね。願わくば、普段からその人の真の価値を見抜き、それに感謝することのできる芭麗人先生のような人間になりたいです。
てつ 同じく  /  投稿日時: 2006-6-24 6:55
へりくつ道場高段者
登録日: 2006-1-6
投稿: 92
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: 6年以上
性別: 男性
先日「魂を揺さぶられたい・・・」というスレを立ててしまいましたが、またまたそんな気持ちになりました。僕自身もまだまだ視野の狭さがあります。
僕がそう思うのは、
芭麗人先生のような方、考え方がもっと広まれば、そんなチームが我々もそうですが、それだけでなく全国の頂点になるようなチームや指導者にもっと持てたら・・・と思うのです。
そうすれば、不祥事や人口が減るということにも歯止めがかかるのではと。そとためにはどんなポイントが必要なのかを考えたいのです。
「人間」をふかく捉える眼
人の真の価値を見抜く眼
感謝の心・広い心
多角的にものごとを捉える眼

今の自分にはすぐには答えを出せまえん。
ですが、近づけるよう努力や勉強はしていかねばと思っています。
サブ Re: エースがいたから優勝出来たのだ・・・と勘違いしていたことがある  /  投稿日時: 2006-7-20 6:09
へりくつ道場高段者
登録日: 2006-2-8
投稿: 126
年齢区分: 20歳以上
バレー暦: ウン十年
性別: 男性
単純にいい話に感動しました。

私は今の職種、学校事務職員になる前に職業の前歴が
愛知県のトヨタ自工、地元のスーパーチェーンに勤めました。
スーパーに勤務していた時に「Aさん」と私も勤務しました。
店長がいびるのが腹立たしくて、店長に意見を言ったことがありました。
そんなことをちょっと思い出しました。

チームワークを日本の城の石垣で説明することがあります。
いろいろな大きさ、形の石が見事な石垣を形成するのだと。
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