私にとってバレーは・・・。

『魂』を揺さぶる読み物


私にとってバレーは・・・。



人に『バレーはあなたにとって?』と聞かれたら『私の半生そのもので
す』と答えます。私とバレーの出会い。それは学生時代の「ミュンヘン
での日本男子の劇的な優勝」と同じ頃始まった「春の高校バレー」でし
た。まったくのバレー未経験者の私にとってその世界は映像の中のもの
でしかありませんでしたが、単純で熱しやすい私はバレーに魅せられ、
その頃頂点に達していた大学紛争をいいことに遊び呆けていたグウタラ
学生だった私はすっかりその虜になり「教員になってバレーの指導者に
なり春高を目指そう」と突然バレーの真似事と勉強を始めました。数年
の後運良く採用された片田舎の高校でバレー部を作り、新入生を誘いま
だ体育館も外のコートさえなかったグランドを掘り起こし、『いくぞ春
の高校バレー』と紙を貼った柿の木にロープを張ってそれをネットとし
て練習を始めました。

まったくの素人の私は見よう見真似の滅茶苦茶な練習(?)をしました
。何度も何度も壁にぶつかりました。様々な人に教えを請いました。
『根性 』という実業団チーム(ユ)の門も叩きました。冬に選手の前で
水をかぶったこともありました。お金も沢山かかり家に給料を入れるこ
とが出来ないようなこともありました。当然のようにそんな私を非難す
る声が色々なところから聞こえました。しかし励ましも沢山ありました
神に祈ったこともありました。 『勝つ』と言って死ぬほどの練習をし
ました(ほとんどそれは自己流であったでしょうが・・・。)  
挫折もありました。  ここであげればきりがないほど沢山のことがあ
りました。
10数年の後気が付いてみると代々木の体育館に立っていました。

私は得意の絶頂でした『見たか俺の力を』こう叫びたくなりました。
しかし試合も終わり周囲の喧騒も潮が引くようにおさまったとき急に私
は虚無感におそわれました。
  私の周りに沢山の人間が現れた、そして歯の浮くような賞賛を口々
に言った、私は有頂天であった  が果たしてこんな言葉を聞きたいが
為に頑張ったのだろうか?そうじゃないだろう。私の夢とはこんなもの
だったのだろうか?   私はノイローゼのようになりました。
暫くして私はあることに気がつき始めました。
私の夢の実現とは春高にあったのではなく、行きたいと思い勝つことに
執着して様々な工夫をし、苦しみ努力を重ねたことの間に起こった様々
な素晴らしき生徒との出会い、出来事の中にあったのではなかろうか。
私が彼等を育てたのではなく、私がバレーを通して彼等に育てられたの
ではないか。

そう思うにつけ、次から次へと卒業生、出会った人々、出来事が浮かび
ました。そしてこれらの素晴らしいことがらを与えてくれたバレーに感
謝するようになったのです。私は一時事情がありバレーから離れていま
したが、私が子供達と共通の夢を持って生きていくにはこれしかない。
とこの歳になって再び頂点を目指してコートに立つようになりました。
目標は高くなければいけない、高くなければ全てが中途半端になってし
まう。『勝たなくても・・』と言ったらその中で学ぶものはない。そし
て夢は大きければ大きいほど、目標は高ければ高いほど素晴らしい出会
いがある。特別な選手はいらない。指導者として『夢』に向かって必死に
ボールを追う選手を育てることが出来たら、選手と共に流す汗と涙の先
に『夢』の実現がある
  雑草の如く・・・。これが私の生き方です。

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